7月も終わり
世の中すべて、スピードアップの時代。
相対的な事なのでしょうが、一年の早いこと早いこと。。。
三歳の子供にとって、一年は三分の一の感覚、
五十歳には、五十分の一、八十歳の方は八十分の一という風に加速していくと聞いたことがあります。
一度、子供さんに直に聞きたいですね。(~_~)
一度、行ってみたいというか探してみたい所がありました。
それは、紫 式部のお墓。
見つけました☆
石碑の後ろは、ムラサキシキブという木です。
場所は、堀川北大路を下がった西側。
間口一間といったところでしょうか。
島津製作所の工場の北側。
石畳を進んでいくと、右手に。
左手が紫 式部のお墓。 右手は小野 篁(たかむら)のお墓です。
紫 式部については、父が藤原為時であったこと。
藤原宣孝と結婚し、先立たれて不安な生活の中で源氏物語を書き始め、才能を認められて、
藤原道長の娘で一条天皇の中宮の彰子に従えた事などは分かっています。
そういった経歴はあるものの生没年は不詳ですし、
遺構についても、伝説の粋を越えてません。
ただ、千年前に執筆した世界初の長編小説「源氏物語」の作者であることは間違いなく、
千年も忘れ去られずにきた事は偉大という他ありませんね。
この御墓は、室町時代の書物にも記述があります。
この地に建っていたお寺の敷地にあったようですが、
江戸時代に千本閻魔堂へ移されました。
よって、 千本閻魔堂にも供養塔があります。
小野 篁(たかむら)について、ちょっと。。
身長は、180cm。そして、イケメン☆
この小野一族は、聖徳太子についていた小野妹子がおりますし、小野小町も親戚です。
皆、美男美女で賢い。 小野一族凄いですね。
昼は役人、夜は閻魔さんに仕えていたという伝説もあります。
六道珍皇寺に地獄の入り口の井戸がありますね。
この二人の墓が並んでいる事には諸説あり、実際には分かりません。
でも、こうじゃないかなと推理する楽しみが京都には色々ありますよ。
皆さんも、難しがらずに、点を線に結ぶ楽しみを見つけて頂けたら幸いです。(~_~)
昨日は、美山より綺麗な御花を頂戴致しました。
いつも、色々とお心使い有難うございます。